ブラック企業を社畜が生き抜く

ブラック企業か俺の甘えか、誰かと情報を共有して自分なりの答えを出していきたい

俺の生きがいは…

ブラックな会社ではあるが、仕事は楽しくやろう、常に向上心を持ってやろうとしている。何故そんなにもモチベーションを保つことが出来たのか…それは家族に美味しいものを食べさせてあげるという生きがいからだ。

 

恥ずかしながら、我が家は相当な貧困であった。テレビに出てくるような貧困を想像してもらって構わない。何をするにもお金が必要な今、小学生、中学生、高校生、大学生…自分でまともに働けるようになるまでは工夫をして過ごすしかなかった。

小学生時代は近所で誰かのお下がりを貰ったり、塾には行けないので頭の良い子と友達になり勉強したり、学校の先生と仲良くなることで先生から本や勉強道具を貰ったりと、今思うと支えられたからこそできるし、卑しいと思われても仕方ないことが多かった。

中学生になると人から貰うことはみっともないと思い始め、何かを与えることでバランスをとっていた。先生に勉強を教えてもらいたいなら常に良い生徒として振る舞い、手助けをし、外食するお金が無いなら勉強を他の子達に教える時についでに…とった感じで、常に与えて与えられてを保とうとしていた。

高校生ではそれらも通用せず、自分で働くことが出来るようになったので時間を見つけては短期バイトを入れていた。お金が欲しいならば、そのまま就職すれば良い、どうせ高校に行くなら勉強して、沢山好奇心を満たしていこうとしていた。その結果、志望の大学にはらくらくと入れた。

大学生では特待生をずっと狙っていたが、人数がとても多い、俺よりも変態だらけということもあり、願わなかった。バイトをやりつつ、資格も取得し、専門性を持つためにただひたすら学んできた。遊びてやっているんじゃない、と常に心に留めていたので、恐らく他の大学生たちが言うような楽しいキャンパスライフは送っていない。ただ、好奇心を満たし続ける毎日は本当に楽しかった。

社会人になり、自分で稼いだお金で今まで支えてもらった恩返しができると…心を踊らせた矢先に、家族に不幸があった。俺を含め悲しみと怒りと喪失感に溢れた数年が始まった。俺の人生でよかった所を書き出せば、同じように書くことは出来る。しかし、悲しみというのは大きく、不幸な面ばかり目がいってしまうのだ。

家族が亡くなって以降、俺は一段と家族へ奉仕することが増えた。ただそれだけがやりがい、ただそれだけが今の生きがいになっている。

もっと自由に生きろとか、色々支えてくれる人はいたが、どうにも俺は家族に固執しているらしい。家族を手放したら、恐らくブラック企業に務めることは出来ないだろう。

 

生きたお金を使え、人のために使え、そういう気持ちで生活しているからこそ、まだ俺は生きているのかもしれない。

 

なんて、仕事の休憩時間に雑記を書いてみた。

どうだろう、読者諸君は何を生きがいに生きているのだろうか。